アメリカ人(女)と結婚した日本人(男)の日記

日々思ったこと、アメリカとの文化の違いについて

遺産をわけている時に見たアリとキリギリス

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祖父が亡くなった。

 

地方都市の中心部から離れた田舎で、職人として働き始めて60年。

 

広告なんて一切したことがないのに、祖父の腕を求めるお客さんは全国にいた。

惜しまれつつお店を閉めて、わずか2週間後に逝ってしまった。

 

「仕事を生きがいとする人」

 

というページがWikiにあれば、ぜひ彼について書いてみたい。

そんな人生を歩んだ人だった。

 

仕事が好きで、お客さんに喜んでもらえるよう職人として努力を続ける…

そんな日々を静かに送っていました。

 

 

お葬式には、孫達が10人集まった。

祖父は生前、孫達をみんな分け隔てなくかわいがってくれた。

 

8人が地元で成長し、そのうち半分が中卒で、他の半分が工業高校や商業高校を卒業して働いてる。

まるで判を押したように同じ見た目で、金髪茶髪でちょっと改造した軽自動車で会場まで来て、お葬式に参列した。

俗に言うマイルドヤンキーというやつかな?

 

祖父も時々お小遣いをあげたりして、(中にはやんちゃしすぎて心配をかけるものもいましたが)、いつもみんなを気にかけていた。

 

残りの2人は、都市部で生まれ、国立大学、旧帝大に行って、「たくさん勉強しなさい」と幼い頃から言い続けていた祖父を大変喜ばせた。

会う人会う人、「うちの孫の◯◯は旧帝大に行って…」と自慢していたようだ。

(それまでは、友人知人の自慢話を聞く側だったので、なおさら嬉しかったようす。友人知人は地元の進学校に行った孫を会うたびに祖父に自慢していました。)

 

親戚の中には旧帝大に行ったAくんの名前を生まれた赤ちゃんに付ける…というほどすごいことだった。

 

だいたいどんな土地柄かイメージしてもらえたかも…。

 

 

葬儀も終わり、祖父の家で片付けをしていたところ、

仕事の作業場から、

60年〜40年前の遺品がたくさん出てきた。

例えば、

 

国鉄時代の電車に付ける行き先看板

昔のトヨタ自動車のカタログ

ブリキのおもちゃ

日本で初めて発売されたと思われる電化製品

古銭

などなど、

 

昭和資料館とかに置けそうな品が、作業場の倉庫からぞくぞくでてきた。

 

みんな、はしゃぎながら遺品を見てた。

「すげー!」「これお宝鑑定団に出せんじゃね?」「メルカリで値段調べてみよ」

 

と、みんなそれぞれ好きなものを持ち帰る。

 

遠方からの参加だったので、私は何ももらわなかったけど、

 

「祖父の遺品」なのに、売っぱらう前提で分け合っているマイルドヤンキー達がなんだか場違いな存在に感じた。

 

みんなどんどん、売れそうなものを軽自動車に積んでいく。

 

 

私とAくんは、祖父のアルバムをずっと見つめていた。

 

お客さんと一緒に写った写真、祖父母の結婚式の写真、私達の親が生まれた時の写真。

祖父にだっこされている幼いころのAくんの写真。

 

 

マイルドヤンキーのうちの1人が、

 

「お前らは何もいらないの?なんかもらっていきなよ?」

 

Aくん

「うーん、そうだな。俺はこれもらうよ。」

 

そう言って彼はあるものを拾い上げた。

 

その瞬間、マイルドヤンキーの孫達は一斉に笑い始めた。

「うっそ、」「まじかよ」みたいな典型的な嘲笑。

 

 

Aくんが拾い上げたのは、祖父がどこかの旅行に行った時に買ったであろう、木製の置物。

 

よく、日光とか浅草に売っていそうな

「努力」

と彫り込まれた、あの置物。

 

「おまえ本当にそんな物欲しいの??」

 

「やっぱり変わってるな!」

 

とひとしきり小馬鹿にされていたのですが、Aくんは「努力」と彫り込まれた、その置物を大事そうに持ち帰った。

 

 

それだけの話ですが、Aくんは努力を怠らず幸せな人生を終えたばかりの祖父に、何かを感じていたのでしょう。

 

みんなに笑われた「努力」の置物はきっとAくんにとって素晴らしい財産になるに違いありません。

 

アメリカ人の妻にこの話をしたところ、

私も「努力」の置物ほしい!なんでもって帰ってこなかったの?

最高にCool!なのに。

って怒られました。